原西地区の農村基盤総合整備事業

原西地区の農村基盤総合整備事業とは、昭和51年(1976年)~昭和58年(1983年)の7年間にわたり、原西地区の圃場、基幹道路、集落道路、集落排水、農村公園の整備を行ったものであり、公園入口の建碑には、「其れは自己主張を捨てた共同の力、協調の精神による和の結晶である。是れは地域に密着した施策として、将来に誇れる事業であると思う。明治以来の大改革であり、永く後世に伝え、益々発展することを祈ってやまない。」

と記されており、原西地区にとっては、「明治時代に行われた農地改革」に匹敵するインパクトのあるものだった様です。

お話を聞いてみると、単純に道が狭いから広げた、新規に幹線道路を通したというものではなく、一旦原西地区の細々とした土地を全部一つにし、地権者が整備前に持っていた農地面積の割合から、住居に近い等を考慮し再配分するという内容であり、工事の期間は農地が使えず収入が途絶え補助金もなし、農業以外の仕事をし生活を支えたとの事で、原西地区に農地を持つ全員の協力がなければ実行できないというものでした。

こういった先人たちのご苦労のお蔭で、今私たちはこの地域に住むことが出来ていると、感謝したい思いになりました。

収録風景
原西の農村基盤総合整備事業.jpg




《参考》

建碑が建てられている場所(原西運動公園)→https://maps.app.goo.gl/gKNHvqrLDvdNuk2Q6

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